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『申命記』の伝承


意外と知らないこと多かったです。
勉強になります


『申命記』は伝承では死を前にしたモーセがモアブの荒れ野で民に対して行った3つの説話をまとめたものであるとされている。第1の説話(1章?4章)では40年にわたる荒れ野の旅をふりかえり、神への忠実を説く。中心部分をなす第2の説話(5章?26章)では前半の5章から11章で十戒が繰り返し教えられ、後半の12章から26章で律法が与えられている。最後の説話(27章?30章)では神と律法への従順、神とイスラエルの契約の確認、従順なものへの報いと不従順なものへの罰が言及される。最後の説話の後、モーセは来るべき死への準備をし、ヨシュアを自らの後継者として任命する。その後、補遺といわれる部分が続く。32章1節?47節は『モーセの歌』といわれるもので、33章ではモーセがイスラエルの各部族に祝福を与える。32章48節?52節および34章ではモーセの死と埋葬が描かれて、モーセ五書の幕が閉じられる。


著者の問題
古代以来、伝承ではモーセ五書はすべてモーセが書いたとされていた。タルムードは初めてモーセがモーセ五書のすべてを書いたという伝承に関する議論を提起した。普通に考えればわかることだが、どうやってモーセが自らの死を記述しえたのかという疑問が示されたのである。あるラビはモーセが自らの死と埋葬を予言的に記述したという見解を述べたが、多くのラビたちはモーセの死と埋葬に関する部分のみヨシュアが書いたということでこの疑問への答えとした。

中世に入ると12世紀のユダヤ人聖書学者アブラハム・イブン・エズラがモーセ五書に関する初の学術的研究を行って、『申命記』は記述のスタイルや語法が他の四書と異なっていることに気づいた。彼は古代以来の伝承に従っておそらくスタイルの違いはモーセとヨシュアの違いによるものだろうと考えたが、15世紀のドン・アイサック・アブラヴァネルは『申命記詳解』の序文で申命記のみ他の四書と違う(ヨシュアでもない)別個の著者の手によるものという見解を示した。

近代に入って旧約聖書とイスラエルの歴史に関する学術的な研究がすすむと『列王記下』の終盤と『歴代誌』34章であらわれヨシヤ王治下での宗教改革と『申命記』を結びつける説が初めて唱えられた。その部分の記述によれば紀元前621年、ヨシヤ王は聖所から偶像崇拝や異教の影響を排除した。その過程で大祭司ヒルキヤの手によって律法の失われた書物が発見されたというのである。ヒルキヤはヨシヤ王にこの書物を見せ、2人は女預言者フルダにこれが失われた律法の書であることの確認を求めた。フルダがこれこそが本来の律法であると告げたため、王は民衆の前でこの書を読み上げて、神と民の契約の更新を確認し、以後の儀式がこの書にもとづいて行われるむねを告げた。タルムードの中のラビたちの伝承と同じく、近代の研究者たちもこの「失われた書物」は『申命記』に他ならないと考えた。『申命記』はモーセ五書の中で唯一、「ただひとつの聖所」の重要性を訴える。当時、多くの場所にあった聖所を一箇所にまとめること、それによって王権を強化することがヨシヤ王の改革の狙いだったのではないかと考えられたのである。このことからヨシヤの改革を「申命記改革」と呼ぶ。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年03月30日 01:26に投稿されたエントリーのページです。

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